[自己紹介]
ハンドルネーム:わた
生息地:東京都青梅市
年齢:昭和40年代生まれ
趣味:車、バイク、パソコンその他楽しければ全てOK(但しお金はちょっぴり)
[悲しくも危険なバイク人生]
1.はじまり |
20歳の時車の免許を取った。 ちょうど定職に付いた会社の、社長以下ほとんどのメンバーがバイク乗りだった影響を受けて、自分も中免を取得した。 金がない小僧にとってバイクを選ぶ基準はとにかく安く乗れること。 400cc以上は車検があるため選択肢は250ccへ。 YSPと会社で交流があったためさらに選択肢はYAMAHAへと絞られた。 当時はレーサーレプリカ全盛の時代。TZR等2st車は走り屋御用達の車種となっていたため、おとなしく乗れるレプリカとしてFZR250(中古)をチョイスした。 どこからでも均一にパワーの出るFZRに惚れ込み、ツーリング(といっても当時は城ヶ島程度が限界)に行ってみたり、奥多摩有料道路(後の周遊道路)を攻めてみたり、大垂水峠を攻めてみたりとけっこう乗り回した。 そんな時、いつも通勤で通る慣れたコーナーで転倒した。 自意識過剰になっていたこと、整備点検を怠ったことが原因だった。 バイクはスイングアームが45度も曲がるほどの大破(当然廃車)。 もちろん身体も大破(神経節損傷によりあやうく右腕が上がらなくなるところ)。 こうして私の中での第1次バイクブームは過ぎたのだった。 |
2.懲りること |
バイクが買える価格で車(中古車)が買えることに気付き、車を購入。 しかしかなり安い中古車だったため、ある時ラジエターが昇天。 あえなく2台目の車購入へ。 バイクを忘れ車で通勤をしていたが、ある時区画整理で駐車場から追い出され、車での通勤が不可となり、仕方なく通勤目的で次なるバイクを探す。 スクーターという選択肢もあったが、やはりミッション車の魅力には勝てず、ちょうど買い手を捜していた同じ会社の先輩からKAWASAKIのZXR250を安く譲り受ける。 見た目大きなZXRだが、エンジンパワーとトルクパワーに助けられて、信じられないぐらい街乗りの楽なバイクに仕上がっていた。 新たな足に満足して、雨の日も雪の日もZXRで通勤し、時には出かけるという生活を送っていた。 しかしその時は突然やってくる。 折りしもFZRが大破したコーナーで、あろうことかパニックブレーキにより前輪がスリップ。立て直せないまま転倒し、ギアケースがパックリ割れてエンジンにもダメージを受けた。 バイクの損傷に応じて身体も中破し、右手の親指付け根を複雑骨折。 その後バイクを回収してもらおうとバイク屋に動いてもらったが、ハゲタカによって大破したバイクは持ち去られており、結局廃車扱いに…。 |
3.三度目の… |
その後車専門となることを決意してインプレッサを購入。280PSを堪能した。 30歳前後の頃、高校の後輩がGSX-Rを廃車するというので、ボロボロながらタダで譲り受ける。 しかし当時は車専門だったのでほとんど乗らずに放置。 ある時バイクで出かけようとしたらバッテリーが上がって腐ってしまっていた。 バイク屋を呼んで充電を頼んだが、よくよく見るとかなりあちこち痛んでおり、完治するにはかなりの出費が必要という現実を突きつけられた。 過去の事故のこともあったが、いいタマが入荷していたためGSX-Rを修理せずにZeelを購入することにした。 ZeelはFZRの後継車種として発売されたネイキッドで、馬力はデチューンされていたもののトルクが高められて街乗り重視となっていたバイク。残念ながら人気がなかったため、あまり台数が世に出ないまま絶版となっていた。 そんなZeelだが、身長の低い自分にとっては足つきも良く、台数がないことが逆に目立って、けっこう気に入って通勤(青梅−玉川上水)のみならず、後輩と鎌倉へツーリングへ行ったりしていた。 ある日交差点で渋滞している車の横を抜け、交差点に出た時、何を勘違いしたか赤信号で飛び出してしまい、横から車に激突され転倒。 今回も1発廃車かと思いきや、損傷はそれほどひどくなく、かなり安く元に戻った。 自分の怪我もたいしたことなくすぐに完治。(痛かったのは相手の車への修理費) その後通勤途中で前方不注意の右折車に引っ掛けられ、多少の事故はあったものの、このZeelは未だに健在。(ちょっとバッテリー上がって腐り気味だけど…) |
4.そして新たなステージへ |
Zeelでの事故の後、250クラスのバイクに不安感を持ってしまい、もう昔のように自由に振り回すことができなくなってしまった。 さらにそれらの事故を理由に会社からバイク通勤禁止のお達しが出る。(当然だよね…) 青梅の自宅は坂のある山の中のため、徒歩で生活するには不便。 そこで自宅から駅までの通勤用として中古のジョグ・アプリオ50を購入。 スクーターは駅までの足と割り切って、それ以外の用途ではほとんど使わずにいたが、ある日友人がスズキのチョイノリ(50cc)で江ノ島へ遠乗りした画像を送ってきたことで、スクーターとしての考え方の枠がはずれ、アプリオ50で試しに近場へツーリングもどきを実行。 すると昔中型で走っていた爽やかな気持ちが蘇ってきた。 スクーターだってやれればできるんだ。 50ccのスクーターでは色々制限も多かったので、125cc以下のいわゆる原付2種に興味を抱く。 遅いよりは速い方がいい。 ということで、排ガス規制で4stメインとなった国内メーカーの原付をスルーして、スクーター天国の台湾製スクーター、KYMCOスーナー100を購入。 さらに100ccエンジンを113ccにボアアップし、その甲斐あって原付としてはかなりの速さとなった。 スーナーは乗っていてとにかく楽しいスクーターだった。 車重の軽さによる加減速の素早さ、アクセルレスポンスの良さ、粘りのあるサス、50ccサイズの超小型ボディ…とにかく自分の求めていたもの、全てがそこにあった。 しかし空冷2stには速さと裏腹に欠点がある。 それが熱だった。 35度の外気温の中、連続600km超のドライブにエンジンが悲鳴を上げた。 結局自分の責任で、あれほど気に入って手をかけてきたスーナーは、エンジン焼き付きという結果で終焉を迎えた。 それと入れ替わる形でカワサキKSR-Uが我が家へ来た。 |
5.自然の中へ |
KSR110でどんなところも走る内、林道ツーリングによって山に入る楽しさを知り、KSR110をダートマシンとして進化させ続けることに疑問を感じて、林道ツー用マシンとしてセロー250(クロシカ君)を購入。 そして現在に至る。 |
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